2025年10月17日から2026年3月2日までパリのルイヴィトン財団で行われた、ゲルハルトリヒター展に行ってました。
1962年から2024年にかけて制作された275の作品を展示する大回顧展と言える展示です。
ゲルハルトリヒター展
日本人にとってゲルハルトリヒターといえば、2022年に行われた東京国立近代美術館のリヒター展を思い出す人も多いかと思います。東京国立近代美術館の展示では、彼のキャリアを網羅する約120展の作品が展示され、2014年製作のホロコーストをテーマにした《ビルケナウ》が注目を集めました。
今回の2025年にルイヴィトン財団での展示も、東京国立近代美術館で開かれた展示と同じ線上にある展示と言ってもいいでしょう。
今回の展示では、その倍以上の作品がルイヴィトン財団の展示空間全体に敷き詰められていました。展示の貸し出し元もさまざまで、ヨーロッパ各地の美術館をはじめに、個人収蔵の作品も多く見受けられます。

展示構成
展示の構成は極めてシンプルで、彼の初期作品から時系列で彼の作品の変化を追っていく構成となっていました。また、展示空間ごとにある程度、色彩、表現方法がまとめられていて、展示を空間で分けた洗練された印象を受けます。
作品の数もとても多く、展示の構成で目についた場所は、各フロアの最後のパートに、ビルケナウに通じる部分があったことです。つまり、各フロアと最終部、展覧会全体とビルケナウには相似があり、リヒターが行っているように彼の最高傑作のビルケナウへ自然に繋がるようになっていました。
例えば、地下一階の最初のフロアの展示の最後に、1973年にティティアーノのAnnonciationをコピーした作品が並んでいましたが、来場者は左側の比較的、クリアに元の作品が見える作品と、右側の抽象度の高い作品の間の通路を抜ける動線になっていました。抽象度の高い作品と具体度の高い作品を対比させ、その間に観客を配置すると言う構成には、ビルケナウに通じるものがあると感じます。

また、東京国立近代美術館の展示との違いは、1980年ごろの色彩豊かな抽象画の展示群と、風景と静物を元にした作品群かと思います。この展覧会では、この空間には「1976-1986 — Explorer l’abstraction (抽象表現の探究)」と言うタイトルが当てられ、彼の抽象表現への興味と実装を見ることができました。
展示の最終空間に、ビルケナウが設置されています。ビルケナウは、大判の黒と赤が目立つ抽象画とその前面に設置された灰色が買った4枚の鏡、そしてホロコーストの時代に、ビルケナウで撮影された4枚の写真で構成される作品です。これだけを見てもすぐには分かりづらい作品だと思うのですが、展覧会全体の構成のおかげで比較的分かりやすくなっていたかと思います。

全体として、回顧展ではあるものの、表現方法、興味の対象と移り変わり、ベネチアビエンナーレへの参加など、各スペースにテーマが割り振られ、歴史の縦軸とテーマの横軸が交差するような印象を受けました。
また、展示の最終空間にビルケナウを置いていると言うことから、ルイヴィトン財団も展示を通して、ビルケナウが彼の作品の中でも重要なものであるという事実を後押しするようでした。
見所
展示中頃に、リヒターのエスキースが連続して展示されているパートがありました。目についたところは、エスキースをするときに、デッサンの周りに余白をたくさんのことしているところでした。まるで、白い展示空間に彼の作品がすでに存在しているような印象を受け、彼が製作の段階から、美術館などの展示が想定されているスペースに作品が置かれることを念頭に置いているように見受けられました。

もう一つの見所は、ビルケナウでしょう。そもそもわたしはこの作品が大好きで、展示空間に何時間でもいられるのですが、国立近代美術館の時とは違う印象を受けました。
今回のルイヴィトン財団ではビルケナウの展示は天井がかなり高くなっている吹き抜けのスペースが当てられ、来場者の足音や話し声が反響する空間になっていました。それによって、空間がまるで教会のような雰囲気を持っている印象を受けました。ここに来るまでは、いわゆるホワイトボックスのような主張を持たない展示空間を進んでいたので、最後にこのような異質な空間に足を踏みいれ、ビルケナウの異質さに戸惑いました。
作品そのものに加えて、展示構成、展示空間により、鑑賞体験が変わるということを感じさせられました。

印象に残ったこと
展示空間の中に、女性の裸婦、少女、女性が描かれた作品群が配置されています。妻を描いたemaや娘を描いたBettyと言う作品です。抽象度が高い作品群の中でこれらの作品には自然と観客が集まっていた。展示空間の中で女性を用いてリズムを持たせてありました。
作家がどのような考えを持っていたかはわからないですが、ヨーロッパの視覚芸術、美術館の中で語られているフェミニズムの観点ではこのような展示にはなっていなかったかもしれません。おそらく、他の公立美術館では、言及が入っていたのでは。
つまり、このような構成はルイヴィトン財団の私立美術館として、独立した存在であることを強く意識させられました。

今回の展示はすでに終わってしまいましたが、ケルンのMuseum Ludwigでは彼の作品を多く収蔵しています。また、日本でも国立近代美術館が数点所蔵しているため、時期によっては見られる機会があるかもしれません。


