海外生活、「日本に帰りたいな」とふと思うとき。【海外留学】【海外エッセイ】

こんにちは。「バゲ」と言います。私はフランスで大学院留学をしています。

詳しくは他の記事にも書いているのでぜひ読んでみてください。

2022年の夏にフランスに来てから、はや1年が経とうとしています。

この1年間楽しいこともあれば、辛いこともありました。それでもなんとか海外での生活に馴染もうと努力している途中です。

正直、日本に帰りたいなと思ったこともあります。

この記事では、そんな日本に帰りたいなと思う瞬間について改めて考えてみたいと思います。

ふとした時に思い出す何気ない光景

日本のアーケード。

日本のコンビニ。

日本のスーパー。

日本の公園。

日本の駅

日本の家。

日本にいたときには目にも止めなかったような光景をふと思い出すことがあります。

それもなんでもない時に。

別にフランスで大変な1日を過ごした時でも、悲しい1日を過ごした時でもなく、ふと急に思い出します。

日本にいたとき。

何気ない時にコンビニに行って、陳列されているお弁当、おにぎりのなんとなく人気そうなものをとっていたことを思い出したり、駅の鳩よけの音を聴きながら手持ち無沙汰で電車を待っていたり。

掃除中に懐かしい写真を見つけて数分思い出すように、どうだっていいような毎日の風景がたまに蘇る瞬間があります。

地理的に少し離れただけなのに、自分自身の過去と過去の習慣を意識せずに強く振り返ることになるなんて、人間の郷愁の性質には驚かされます。

私は「日本、大好き!!」というわけでもなく、なんとなく今いる場所から離れたいという願望に基づいて海外に行くことを決めた人間です。

海外にいると自分が懐かしいと感じる風景がフラッシュバックし、過去にひきづり込もうとすることに驚きます。

日本では気づけなかった日本の居心地の良さ

日本を懐かしいと振り返るだけではなくて、同時に日本が居心地が良かったんだなとも感じます。

日本にいるときは、そもそも母国にいるという便利さに気が付きませんでした。

自分の周りにいる人は、大体自分と同じ母国語を話し、ある程度自分と同じような教育をうけ、会話をしていても同じ文脈を作ることができていました。

ツーカーとまでは言わなくても、そもそもアイデンティティを共有しているおかげで、多かれ少なかれ「皆まで言うな」的な状況が勝手に形成されていたことがわかりました。

加えて、日本は「便利である」という状態を重要視している文化であると気が付きました。

お店は大体毎日空いているし、24時間営業のお店もたくさんあります。

電車は数秒単位で管理されているし、遅れたときは「迷惑をかけた」として駅員さんが頭を下げます。

「便利さ」を追いかけることによる代償もたくさんあると思いますが、少なくとも「不便だなあ」と感じることは日々の生活ではないはず。

不便さを究極的に排除し、日々の生活に不自由がない状態をよしとする美徳があるのだと気づきます。

自分もこの日本の便利さにタダ乗りして、便利な生活を送っていたのだと気が付きます。

便利な状態がいつの間にか普通な状態になって、無自覚なまま居心地の良さを感じていました。

正直、日本の居心地の良さが恋しいです。

日本を郷愁するからこそ、今の生活が楽しい

日本を懐かしいと思うことが多々あります。

でも、この郷愁は海外に来なければ絶対にわからなかった感情。

フランスでの生活との比較をしなければ生まれてこなかった感情。

こんなふうに日本を改めて見つめること、ひいては自分自身を客観的に見つめることは、海外で生活してみなければできなかったことだと思います。

「海外に来ることで日本を好きになる」なんて陳腐な言葉は嫌いでしたが、意外とそういうものなんだろうなと自分の身でひしひしと感じます。

今は「日本に帰りたい!」と強く思うことは少なくなりましたが、「日本にいたときはこうだったな」と昔を懐かしむ思いに駆られます。