こんにちは。バゲです。
2022年の秋からフランスの大学院の修士課程に留学をしています。
月日はあっという間に過ぎるもので、2年間の留学生活も終わりに近づいていました。
あとは、修士論文を提出し最後の口頭審査を突破すれば、晴れてフランスで修士号を取得します!
たくさんの辛いこともありながらも、なんとか頑張ってこれた2年間だなと感じます。特には塞ぎ込んでしまったこともありました。
2年間の大学院生活を終えるにあたり、どんなことが大変だったのか、どんなことが辛かったのか、改めて振り返っていきたいと思います。
これからフランスに留学にくる方は「こんなことが辛いんだ」と感じていただけますし、いますでにフランスにいる、フランス留学を終えた方は「確かにこれが大変だよね」と感じてもらえる記事かなと思います。
大学院留学中、辛かったこと
- 学校生活編
- フランス式の授業に困惑。
- フランスの学生に溶け込めない。
- フランス語が伸びない。
- グループワークが地獄。
- 周りにあまり留学生がおらず孤独。
- 私生活編
- 「全て一人」で生活を始める・続けなければいけない。
- 仲良くなった日本人の友達が帰ってしまう。
- 円高で生活が困窮。
- アルバイトと学生生活の両立。
- 書類・手続きが煩雑。
- 夏は暑い・冬は暗い。
- 時差があるので、友達とも簡単に会話・メッセージできない。
学校生活編
フランス式の授業に困惑
学校生活を始めてすぐに直面したのは、「フランスの式の授業に慣れなければいけない」という問題。
フランスは、日本の大学と授業スタイルも違えば、テストのスタイルも違います。
- 授業は120分間先生がひたすらに話し続ける。
- 授業のレジュメなども配られないので、ひたすらにメモをとる。
- 先生も話すだけ話して、生徒が理解しているかどうかは気にしない(最後に質問はできる)
- テストは、2時間以上かけて教室で行うディセルタシオン(小論文)。
日本の大学の教授の中でも、授業時間中ひたすら話すだけという授業スタイルをとる人もいます。
フランスの場合も同じで、すべての担当教授、講師が授業時間中ひたすら話し続けるという授業のスタイルを取ります。
学生たちは重要な情報とそうでない情報の区別がつかないので、後から復習することができるように、一言一句聞き取ろうとする勢いでひたすらノートパソコンに書き込みをします。
私はただでさえ、フランス語で授業を聞かなくてはいけなく、聞き取るだけでも疲れてしまうのに、それをノートパソコンに同時に打ち込むということをしなければいけませんでした。
しかも、フランス人の学生より一層、重要な情報とそうでない情報を話すトーンなどから聞き取ることができないため、120分間ひたすら集中しなければいけない時間が続きました。
特に最初の1年はフランス語もそれほどわからなかったので、聞き取れた数少ない単語から話の文脈を想像することしかできませんでした。
聞き取れた情報に自信がなく、本当にこれで授業によう理解しているのかなあ、、と不安に思う期間が長く続きました。
また、自分の所属していた美術史のコースでは、ほとんどの授業のテストはディセルタシオンと呼ばれる、教室で行われる小論文のテストでした。
このディセルタシオンは、日本の小論文よりもさらに厳格に形が定まっており、ルールに従って書かないとそもそも採点すらしてくれないという厳しいもの。
9月に授業が始まり、その次の年の1月にテスト期間があったため、4ヶ月ほどでディセルタシオンの書き方をマスターしなければいけなく、とても大変でした。
フランスの学生に溶け込めない
フランスの大学は、同じ学生同士でつるむという文化があまりありません。
教室で授業を受けて、そのあとはそのまま解散という形になります。
授業の終わりに軽くどこかでコーヒーを飲むということもあまりなく、学生同士のつながりが希薄だと感じました。
また、自分は修士課程からそのまま入ったので、他のフランス人性とはすでに現地で学部を終わらせています。
長い時間をすでに一緒に過ごしているため、すでになんとなく仲良しグループができているので、入り込むことができませんでした。
授業の間に一人でご飯を食べたり、授業後に図書館で一人で勉強したり、「ちょっと寂しい」時間を過ごしていました。
フランス語の伸びを実感できない
フランスで生活をしていくうちになんとか少しずつフランス語のレベルが伸びてきたと感じているのですが、どうしてもその伸びが感じられない状況にありました。
というのも、語学学校とは異なり、身の回りの学生、先生はすべてネイティブのフランス人ばかり。
自分のフランス語のレベルがどれくらいにいるのか、把握することができず、「伸びているのか・伸びていないのか」と不安になることもありました。
自分のフランス語の伸びが実感できないと、「そもそも私はフランスで何をしているんだろうか」と感じてしまう時期もありました。
そんな時期には、改めて自分のフランス語レベルを図るために、フランス語の試験を受けてみることで、なんとかメンタルを保ちました。
留学して1年弱経った頃に。DALFのC1に合格できた時はとても嬉しかったです。自尊心を取り戻した時期でした。
グループワークが地獄
大学の授業の一環としていくつかグループワークがあったのですが、どれがなかなかの地獄でした。
- フランス人外部講師を呼んだ授業の下調べ
- 英語でのグループ発表
- リヨンの美術館でのビジットガイドを行うグループプログラム
特に最後のリヨンの美術館でのグループワークは2年間の中でも大変だった記憶があります。
外部の人間を呼んで行う美術館体験のプログラムで、5人ほどのフランス人学生とともに、美術館の中で調べ物を行い、最終的に数十人の前で発表を行うというものでした。
周りはネイティヴのフランス人しかいない中で、フランスに来て数ヶ月しか経っていない私が発表を行わなければなりませんでした。
今思い出しても、あんなたくさんのフランス人の前で、「よくやったな私・・・」と思います。
周りに留学生がおらず、孤独
自分がいたコースは文系コースということもあり、周りにあまり留学生もいない状況でした。
いたとしても、フランスに長く住んでいるイタリア人学生やブラジル人学生で、自分と同じような境遇のアジア人学生はおらず、たった一人でした。
大変な状況であっても、誰かとその大変さを共有することもできなく、一人で黙々と頑張るしかありませんでした。
自分のいた場所がリヨンという地方都市であったことも、周りに日本人をはじめとした外国人正規留学生がいなかった理由の一つかなと思います。
今となってはリヨンは好きですが、留学生としての孤独を考えると、パリでも良かったのかなと思います。
私生活編
全て「一人」で生活を始める・続けなければいけない。
実はフランスに来る前は、一人暮らしをしたことがなく、フランスに留学に来てから始めて一人暮らしを始めました。
日本で同じ年齢の子が一人暮らしをする際は、両親の助けなどもありながら探す場合も多いと思いますが、フランスで初めての一人暮らしを経った一人で始めなくてはいけませんでした。
住居の決定から、銀行口座の開設、行政手続きなどをすべて一人で慣れないフランス語で行う必要がありました。
生活を始めても、自炊をするのもほとんど初めてでしたし、自分の生活費を一人でコントロールするのも初めてでした。
栄養のバランスを考えることもできなく、体重の上下も大きくありました。
最初の方はお金を使い過ぎてしまい、後々生活が苦しくなるということもありました。
2年経って、やっと今は一人暮らしに慣れてきたかなと感じます。
仲良くなった日本人の友達が帰ってしまう。
正規留学生として身の回りにはあまり日本人の学生はいませんでしたが、交換留学できている学生や、語学学校に登録してきている学生と知り合う機会はたくさんありました。
正規と、交換・語学と、留学のシステムは違えど、フランスに慣れない日本人学生として励まし合うことも多々ありました。
しかし、交換留学生・語学留学生たちは、短ければ数ヶ月、長ければ1年で日本に帰ってしまう子達でした。
また、そのような子たちは、あらかじめ早めに日本に帰って就職することを見据えている子たちが多く、フランスには「最後の夏休み」のような感覚できている子が多かったです。
交換留学・語学留学の子たちは、主にフランス語を勉強しにきているので、学校の授業の内容も大きく異なっており、学校の話をしてもどうにも盛り上がらないことが多かったです。
一時期、交換留学・語学留学にきている子たちに正規留学を必死に進めて仲間を作ろうとしている時期もありました。
円高で生活が困窮。
フランスについて1年経った、2023年の夏頃から急激な円安が続きました。
留学の資金を円をベースに考えていたのですが、円安が進むにつれて急激に自分の資金が減っていき、最終的には20%ほど目減りしてしまいました。
比較的余裕が出るように留学の費用の計算を組んでいたのですが、すべての資金計画が狂ってしまいました。
留学を始めた2022年夏からの1年間は、比較的旅行に行ったりできていたのですが、円安が急激に進んだ2023年夏からの1年はあまり旅行にもいくことができなくなりました。
せっかくフランスに住んでいるのに、2年間でパリには2回しか行ったことがありません。
アルバイトと学生生活の両立。
円安が進み始めた2023年の夏頃から、本格的に資金が厳しくなり、リヨンの日本食レストランでアルバイトをすることに。
フランスに来る日本人留学生は、週22時間までの労働を行うことができます。
バイトを始めた後の秋からは修士2年目が始まり、アルバイトと学校の両立を行う必要があり、大変でした。
3コマ、計6時間の授業が終わった後に、すぐに飲食店で4時間近く働くというような日々を繰り返していました。家に帰った後に授業の復習をするという日が週に3•4日ほどあり、かなりその時期は疲れていました。
日本の大学時代もアルバイトはしていましたが、すべて自分の遊びのためのお金でした。
フランスでのアルバイトは、本当に「生きるために働く」という感じで、働いてとてもストレスを感じていました。
書類・手続きが煩雑。
フランスの行政手続きは本当に大変。
特に自分の場合は修士1年が終わった段階で新しい学生ビザを更新する必要がありました。
そのために書類を集めたりするのも大変だったのですが、提出してからもフランスの当局からの返信が一向になく、自分から何ども確かめにいかなければならないなど、大変な目に遭いました。
ビザがないと、自分の滞在を正当化することができないため、外国人留学生はビザに対してはかなり繊細。
私も、ビザの更新の手続きがスムーズに進まないときはかなりストレスでした。
夏は暑い・冬は暗い。
フランス、夏は暑くて、冬は暗いです。
夏になると最大で40度以上になることもあります。
どれだけ暑くなってもクーラーがあればなんとかなりますが、フランスのほとんどの家、施設にはクーラーがありません。
もちろん私の家にもクーラーは付いておらず、どれだけ暑くても扇風機で耐えるしかありません。
大学の図書館など、公共施設にはクーラーが設置されていることが多いですが、日本ほど効きがいいわけではなく、ほんのちょっと涼しいかな?という雰囲気です。
また、冬になると日照時間が異常に減ります。
夕方の4時くらいになるとあたりはもう暗くはじめ6時くらいになると、もう真っ暗になります。
また、冬は曇りがちな天気が多く、太陽を見ることもできない日が続くことも。
冬の時期は大学のテストの時期とも重なり、ストレスが溜まる時期が続きます。
時差があるので、日本の友達・家族とも簡単に会話・メッセージできない。
フランスと日本の間には大きな時差があるので、日本の友達・家族とも気軽に連絡を取ることもできないのも辛かったです。
特にフランスで夜、一人で心細くなっても、日本は深夜、早朝なので電話をしたり、メッセージをしたりすることもできません。
日本にいるときは簡単に連絡が取れていたことを痛感しました。
就職した日本の友達はキャリアを着々を進めており、取り残された気持ちになる
私は大学を卒業してそのまままフランスの大学院に来ました。
学生時代を延長する形でフランスに来た私とは異なり、他の日本の同級生は新卒で就職しすでにキャリアを始めています。
そんな友達と会話していると、いくら勉強しに来ているからとはいえ、キャリアをまだ始めることもできていない自分に焦りを感じます。
逆に、日本の友達も、海外で勉強している自分を羨ましく思っているそうなのですが、お互いにないものねだりになってしまいます。
振り返って思うこと:渡仏前に現地の日本人と知り合うべきだった
フランス留学、大変なことも多かったなと思うのですが、後悔はなく、楽しい思い出でいっぱいです。日本にいたら経験できないこともたくさんすることができました。
唯一の後悔としては、渡仏前に現地の日本人にコンタクトをとっておけば良かったなと感じています。
私の場合、フランスに知り合いが一人もいない状態で渡ってきましたが、あらかじめ現地に日本人のコミュニティがある状態できていたら、もっと楽にフランス生活を始められたかもしれないなと感じることもたくさんありました。
現地に頼れる人間が一人でもいると、「自分ですべて解決しなければならない」という気持ちも薄れ、ストレスを軽減することができます。
この記事を読んでいる、フランスに留学に来るつもりの人、すでにきて「辛い」と感じている人は、ぜひSNSで「留学 ○○(地域)」で検索したり、「○○在住」と検索してみてください。
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